昭和44年12月07日 夜の御理解



 あの共励殿に孔雀と松の大きな軸が、ありま掛かっておりましたね正月ごろ。あのように大きな軸を頂いたんですよ。それ緑色のハッキリした縁なんです。それにあの波がドンとこのその岩にこのぶつかって〔可燃?〕しておるようなその波の図柄にね、もう真っ赤なあの太陽が朝日がこう、その次に上がっておる。ような情景を頂くんです。もう軸をその見せて頂いてその。
 何か知らん、心に弾みがつくとは元気な心が出るような感じの、軸のお知らせを頂いてから、思わせて頂いてるんですけれどね。今日はあの、特別奉修委員の方達に対して、御理解を頂いた、御理解が。元気な心で信心せよという事でした。その元気な心で信心せよ。さあ今日は雨が降るからとか、寒いから暑いからと、まあそこんところを元気を出して、さあという気持ちでお参りをする。
 それもやはり元気な心なんだけれど。それはいわゆる、もう信心抜きにしてもですね、やはり同じ事。やはり元気な心でというような時に、それ言うのでしょうけれども。やはり、信心で言う、この信心あの、元気な心というのは、どういうような心かと言うとね。その、こうする事が本当だと、分かっておる事、思うておる事を現す事、実行する心が元気な心だと頂きました。ね、
 はかなるほど元気な、信心で言う元気な心とはそれなんだなと。こうする事が本当だけれどもと。けれどもそれをその人に中傷があったり、または人からどうこう言われだんせんじゃろうかというような事柄のことや何かでですね。それをこうする事が本当だけれども、本当にそれを実行に移しきらんと言う様な事は、これはやはり元気な心が欠けておるんだと悟らなきゃならないという事なの。
 同時に私今晩、テレビを見せて頂いておりましたが、私はあの川中島をいつも見よるんですよ。あの川中島何て言うんですかね、あれは題名は。何とか上杉謙信のあれですね。ああ天と地とち言うとかね。今日何か遅くなってたらしいですね。あれを見てここに来れば、いつも、ちょうど9時前に、の御祈念に間に合うんですよ。ところが今日は丁度、ここで座った時にもう9時半でした。で、
 今日はあの是は少し遅くなりよるから、早う袴履いてから見なさらんかち家内が言うんでしたけれど。それが丁度よかとこだったもんですからね、まあそれを見てからこちらへ来たんです。こう言う様な事なんかが、やはりあの元気な心が必要じゃないでしょうかね。さっもう9時ぞと言ったらどういう例えば自分の好きな、なら映画なら映画を見よってもです。どんな好きな事しよってもスパッと打ち切ってくる心が、私は元気な心だと思うんです。今日私は今日元気な心を頂いたばっかりな所へね。
 その今晩の事を神様が、そういう軸によって教えて下さった様な気がするんですね。それこそドンとその打っては返す波の荒荒しい朝の情景。それに太陽が真っ赤に上がっておる。しかもその絹本に見えるその縁が緑色の見事な表装の大きな軸であったという事の中からね、そんな事を感じました。ですから私共がそのその気になっておれば元気な心で信心する事は誰でも出来る事になりますね。その時その時がその気に神様に向かうてないから、こうする事が本当だという事を成しきらんのじゃないでしょうかね。
   どうぞ。